場所:福岡市美術館
日時:平成20年7月1日(火)〜7月6日(日)
開館時間:9時30分〜19時30分(入館は19時まで)
詳しくはちらしをダウンロードしてご覧ください。
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いよいよ開催! >> (2008年7月1日 UP)
これから開催に向けてゴヤについて、「戦争の惨禍」についてミニ情報を掲載していきますのでお楽しみに!
第3回目 銅版画とは??
版画という言葉はよく耳にしますが、今回展示する作品「銅版画」とは??と思われる方も多いのはないでしょうか?

銅版画には大きくわけて2つの手法があります。
1> 直接銅版に工具を使って銅版を彫る技法
主に金属の針のようなものでキズをつけて彫っていきます。にじんだような線になるのが特徴です。
ドライポイント、メゾチント、エングレービング
2> 腐蝕液を使って間接的に銅版を彫る技法
銅の表面に腐食液を塗り、鉄筆などで線を引くとその液を塗った箇所がはがれていきます。
直接彫る方法よりもシャープな線が描けます。
エッチング、アクアチント

その基本的な作り方は>>>
銅板にキズをつけ、そのキズ(凹んだ部分)にインクをつめ、その後、平らな面に残ったインクをふき取り、エッチング・プレス機で圧力をかけてキズに埋めたインクを紙に写し取る技法です。15世紀半ばから始められ16世紀以来西洋版画の主流となりました。

ゴヤの銅版画の特徴としては、通常のエッチングに加え、アクアチントという技法を使っていることが挙げられます。ラテン語のアクアAqua(水)に語源を取るこの技法は、まるで水彩画のような効果をもった濃淡の調子が得られます。『戦争の惨禍』に見られる深い暗闇や微妙なグラデーションの表現は、アクアチントの特質をうまく活用したものだといえます。
ゴヤはこのほかにもドライポイント、エングレービングなどの技法を駆使し、光と影の織り成す世界を美しく描き出しました。
第2回目 ゴヤ、戦争の惨禍の制作へ向けて・・
幼い頃から絵画に目覚め、数々の失敗や挫折を繰り返しながらも40歳のときに国王カルロス3世の王付き画家、そして3年後新国王の宮廷画家に昇進した直後の1793年。ゴヤ47歳の時、病気で完全に聴力を失います。しかしその頃、ゴヤは注文を受けて作品を制作するという絵の描き方ではなく、自分で描きたいものを制作したいという衝動に駆られていた時期でもありました。聴力を失った代償としてそのようなゴヤの気持ちが解放され、次々と革新的な作品を制作するようになります。<カルロス4世の家族><裸のマハ><着衣のマハ>などの代表作が制作されたのもこの時期のことでした。また同時期に銅版画集「気まぐれ(ロス・カプリーチョス)」を完成させます。しかし、この画集は内容が過激すぎた為に出版直前にゴヤ自ら中止しています。
聴覚を失ってからは、いわゆる美しいだけの絵ではなく、実相をなまなましく描くようなスタイルに変わってきました。それはまさしく「近代絵画」への出発点でした。
第1回目 ゴヤと「戦争の惨禍」について
ゴヤ<フランシスコ・デ・ゴヤ>は1746年スペイン北東部サラゴーサ近郊の貧しい家に生まれました。初期の画学習ののちイタリアに渡り、帰国後は宮廷画家として活躍します。<裸のマハ><着衣のマハ><カルロス4世家族>等の代表作は世界中の人々に知られ、ヨーロッパ絵画史を代表する巨匠の一人です。晩年の作品では絵画表現における先駆的な革新性が注目され、絵画のみならず版画の分野でも類まれなる才能を発揮しました。
今回展示する「戦争の惨禍」はゴヤが制作した四大版画集のひとつで、もっとも重要とされているシリーズです。宮廷画家として活躍していたゴヤが注文や命令を受けずに「自由制作」として完成させた大変珍しいシリーズです。全80点からなる作品はそれぞれがとても小さく縦、横約20cmほどのサイズしかありません。もともと西洋における銅版画は現在で言う写真の役目を持っておりドイツの画家デューラー(1471〜1528)、オランダの画家レンブラント(1606〜69)などによって広く普及しました。ゴヤはデューラー、レンブラントと並ぶ西洋美術史上最高の版画家の一人とみなされています。
「戦争の惨禍」はナポレオンの支配に対するスペイン独立戦争、王政復古による極端な抑制・専制政治、その後の混乱を中心的な題材としています。ゴヤは1810年ごろに制作にとりかかり、約10年をかけて完成させます。しかし、作品はゴヤの死の35年後1863年になって発表されました。ゴヤが身の危険を感じ発表しなかったとも言われていますが、そのはっきりとした理由は分かっていません。